チェバプチチ。 [ボスニア・ヘルツェゴビナ]
前回からまたしばらくぶりになってしまいましたが、
サラエボの街歩きの続きでございます
アリ・パシナ(Ali Pasina)という大通りを北に向かうと、
お店が建ち並ぶエリアがありました
このような青果のお店や飲食店、
服や雑貨のお店なんかが並んでたのですが、、
、、、
このお店、、
値札?が全部「1」ってなってますけど、、
、、、
どうやら素人がお買い物できるお店じゃないようですね(どういう意味だ?w)
そんな商店街を抜けて向かったのは、、
1984年に行われた冬季オリンピックの施設のある場所でございました
塔の上に五輪のマークがあるのが見えますでしょうか。。
平和の祭典として開催されるオリンピック、、
しかし、
この街ではそれから10年も経たない内に戦争が起こってしまったんですよね。。
写真の真ん中下辺り、
五輪スタジアムのサブグランドだった場所なのですが、
現在は墓地となっています。
内戦中の犠牲者があまりにも多かった為、
場所が無くてとのことだそうです。。
、、、
、、、
ここまで来て振り返り、
来た道を戻ることにいたしました
先程の大通りと同じ名の、
アリ・パシナというモスクの前までやって来ました
ここは駅周辺と旧市街を結ぶチトー通りとの交差点となっております
、、、
少し駅の方へ歩いて行きますと、、
このような2つのビルが建っているのですが、
この時はもう近代的なきれいな建物といった感じでございましたが、、
1999年に訪れた当時はこのように攻撃されたままの姿でございました。。
、、、
ここから少し南側を走る大通り、
チトー通りともつながるサラエボの中心を走る大動脈なのですが、、
通称はスナイパー通り、、
内戦中ここを走り抜ける人々が、
高所に潜むスナイパーに狙撃され、
数多くの犠牲者を出したという場所で、
今回訪れた時も当時を思わせる銃弾の跡がまだまだたくさん残っておりました。。
再び旧市街の方へ
公園を抜け、
荷物を預けていたホステルへと戻りました
この右側にフロントがありまして、
ここは居間のようになっていました。
無料のPCも設置されていて、
このブログの記事の追記を書いたりメールをチェックしたりと利用させてもらいました
この日は夜の10時の夜行バスでザグレブへ向かう予定でして、
まだまだ時間がありましたので、、
ひとまずビールをいただきまして、
少し休ませていただいたのですが、、
、、、
ここのホステルは本当に居心地が良かったです
この居間にはPS3も置いてあって、
前の日の夜に宿のスタッフのお兄さんに誘われて「ウイニングイレブン」で対戦しました
かなり久しぶりにやったんですけどやっぱり対戦すると面白いですね
海外版なんでタイトルは違ったんですが、
操作は同じだったので楽しむことが出来ました
そういえばここのホステル、
というかボスニア全般の習慣だそうですが、
玄関で靴を脱ぐようになってましたよ
、、、
ラゲッジルームから荷物を取り出し、
再び街へ。
まだまだ時間が余っていたので、
この日の昼にもいただいたボスニア料理をいただきにお店に入りました
チェバプチチというこの料理、
この時は大きなサイズ(7,5マルク)のをがっつりいかせていただきました
羊のお肉と玉ねぎというシンプルな具材ながら、
後を引く美味しさというのでしょうか、、
一気に食べ進めまして、、
完食でございます
、、、
、、、
しかし、
この時に手元に残ったボスニアのお金はコンマ何マルクという状況になってしまいまして、、
ザグレブ行きのバスに乗る時の荷物の料金、
3マルクを払うことが出来なかったという(←バカ過ぎますw)
、、、
結局、
クロアチアのお金クーナで20クーナ払って1ユーロをお釣りにもらうという、
何だかよくわからない料金にしてもらって無事に乗車、
ほぼ満員のユーロラインズのバスは、
クロアチアの首都ザグレブへ向かって出発いたしました
、、、
ということでこの続きの模様は、、
次回に続きます
オリンピック→内乱→国家分裂・・・
島国日本にいると、実感がわきません。単純に悲劇だ~とはいえないような。チェバブチチ!美味そうです。
by Cedar (2011-06-04 16:52)
Cedarさん、コメントどうもありがとうございます!!
オリンピックからの激動の歴史、、
実際に行ってみてもあまり実感はわきませんでした^^;
ただ、銃弾の跡や街中にある無数のお墓を見ると、
現実に戦争があったことを実感しました。
チェバプチチ、美味しかったです!
日本じゃなかなか食べられないと思うのですが、
写真を見ていてまた食べたくなってしまいました^^
by boomie (2011-06-08 22:54)